HELIOCOMPASS「地球暦」



ーーーー
地球暦を知っていますか?
私たちがいま、どこにいるのかを、太陽系というシステム全体から
身体で理解することを助けてくれるカレンダーです。
カレンダーといっても数字が書いてあるわけではなく、惑星の配置を見える化したもの。
宇宙という広大無限のシステムの中で、地球人としての私たちがどうあるべきかを示唆してくれる革新的な暦として
いま、レストランのシェフやアーティスト、クリエイターを中心に大きな注目を集めている地球暦。
今回は、開発者の杉山開知さんにお話を伺いました。
ーーーー


は調和へのハシゴ

カレンダーって、大体みんな日付を意識するけど
でも、その数字に意味があるわけじゃないっていうこと。
数字っていうのは、
僕たちがこの「意識している記憶」の引き出しにつけた整理番号みたいなもの。
社会的な共通認識としてのナンバーで、
たとえば何月何日どうですかって聞かれた時、
その瞬間に、あっ、いいですよって
記憶の引き出しをスッて開けることができる。

一日の間にどれだけ時計を見る?
たくさん見るよね。
ある家族や会社の中で、12時にお昼ごはんを食べるっていうことをみんなが知っていれば、
「12時になった。じゃあ、お昼ごはんをいただきます!」っていう約束が成り立つ。
だから初めに日付ありきで、
みんなはその日付を元に約束をしていって、
それがいわゆる計時法、時を計る法といわれる、
暦法のように、僕らの日常に溶け込んでいる当たり前のルールみたいなもの。

元々日本が西暦600年代、ちょうど聖徳太子とかいた時代に、
律令制度の一環として初めていわゆる暦、
今でいうカレンダーを取り入れた。

昔の人は自然と同調して暮らしていたから、一体今がいつかって聞かなくてもわかるものだった。
窓をガラガラって開けて、
今日の匂い、雰囲気、空気、光。それらを感じただけで、
今いつかってことなんか誰に言われなくたって知ってるんだから、
ほんとうは暦を使う必要がない。
僕たちって地球にいるだけでもう乗り物に乗っているわけだからね。
個人の力とか存在とかはちっぽけでも、
たとえばみんな一斉に完璧なタイミングに種をポロンって落としたら、
ひとりひとりが落とした行為は小さくても、
あとは勝手に地球に乗っかってマネージメントされて、
大きな結果を収穫という形でいただくことができる。
それが社会のシステムってなった時に
もっと大きなレベルでくくらないといけなくなった。
そうなってきた時にじゃあみんな、
何月何日、今で言う月火水木金土日、このリズムで暮らしも社会も全体が動いている。

だから暦は数字ではあるけれども、
そこに惑わされてはいけないっていうことはすごく言えると思う。
意味のないナンバーをずーっと追いかけ続けていると、
人間って単純に眠たくなるよね。

たとえば羊が一匹羊が二匹とか延々と数えていったら、
「もういっか、別にそんな事考えなくって」、ってなっちゃうじゃない。
つまりカレンダーや暦は自然の産物じゃないし、
野にある草花みたいに自然に生えてるものじゃない。
人が、天の調和にならい、そこにハシゴをかけたいと 意識的に、意図的に作ったのがカレンダーであり暦なんだ。
「どこ」と「いつ」は同じ

今僕らが使っている西暦、
いわゆるグレゴリオ暦では28年周期でループしている。
だから28年前のカレンダーを壁にかけておいても
会社では多分誰も気づかないと思う。
みんなが当たり前に使って知っているのに、
その本質はまったく知らないっていうことに関していえば、
この暦とかカレンダーって言われるものは今世紀最大のトリックアートかもしれない。

話を元に戻して。
宇宙っていう2文字、あるよね。
「宇」って言うのは四方とか上下、いわゆる空間的なこと。
「宙」っていうのは、往古来今って言って、
過去から過ぎ去っていって未来がやってくる時間的なこと。
つまり「宇宙」という2文字は、
「時」「所」が合わせ重なってひとつになっている時空間を表している。
僕らは、時間は時間、空間は空間って分けて考えているけど、
時間と空間は一体なんだ。
時間は目で見ることができないから、
空間として把握していくっていうことが、
暦を見るときのヒントであり、ミソなんだよ。
だから、「今いつですか?」っていうことの問いかけは、
言い換えると、「ここはどこですか?」ということなんだよ。
「どこか」っていう立ち位置を僕らが知るってことはね、
存在として「今ここにいる」っていうことが
明確に理解できてるっていうこと。

ところで、身体の語源っていうのは「空っぽの「空(カラ)」、
卵の殻の「殻(カラ)」から来ている「入れ物」の事だけど、
星も地球も球体で、その球っていうものを象徴した体の部位が頭。
その頭という球の真中心に一体何があるかっていうと、
わずかながらのポイントに体内生体時計っていうのが入っていて、
宇宙の流れているリズムと同期しつつ、それを受け取るレシーバーみたいなものが
すべての生き物には生まれながら備わっている。
地球上のどこにいても、みんなおんなじ時間を無意識では感受しているっていうこと。
で、僕たちはその意識を使って、
時間っていうものを現在過去未来って言う風に切り分けて考えることができるよね。
これも、人間だけが持っているすごく特別な能力。

立ち位置を知るっていうことを考えた場合に、木を見て森を見ずって言ったりするよね。
俯瞰して、今ここにいるんだって状況を想像、イメージすることができる。
時間はサイクルだから、地球が一周回っている自転の「一日」。
それからお月様が一巡りしていく「ひと月」という単位。
それから、地球が太陽の周りを巡っている「一年」という単位。
結局「年月日」っていう暦の基本単位は、言い換えれば太陽と月と地球、
この三位一体の球の位置と方向性を知るっていうことに尽きるんだ。
僕たちは、カレンダーのマス目の中の日付に自分の生活を無意識にチューニングしてるけれども、
そこからどれだけ目を離せるかっていうことが大事。
言い換えれば、あなたの一生は約3万日ですよ、と言われて、
今日ぴったり2万日目ですね、って言われたら、
人生という大きな時間の中で、
3万個もあるフィルムの中で今2万個目のシーンなんだ、ってわかったら、
今これをするしかないって「ノリ(乗り)」が生まれてくるわけじゃない。

ノリ(乗り)。ノリっていうことだけ言ってしまうとちょっと薄っぺらく感じてしまうかもしれないけれど、
ノって(乗って)いたら物事は上手くいくし、
ノって(乗って)いなかったら物事は上手くいかない。
日常生活でも「乗って」、ノリノリであるというのが
「今ここを生きている」という実感につながってくると思うんだよね。

そのために大事なのは、まず全体を知ること。
暦みたいなものっていうのは、とても複雑な学問体系。
だから、これを「勉強」するようなスタンスで挑んで行ったら、
生きている間はゴールに辿り着けない。
どこにいるかなんていう事はちょっとすっ飛ばして、
僕らはもう全て知っているんだ。
ただそれを確認したい。
そのために、どこから確認するか。
せめて太陽系くらいからは俯瞰しようよ。
今、太陽系がぐるぐる回ってるビジョンやビジュアルって誰しも持ってるよね。
陽系に生きるということ


400年前にね、
まだケプラやガリレオの時代だった頃というのは、
地球が丸いと言っただけでそれは本当なのかと言われていた。
今はGoogle Earthや、Tangible Earth(触れる地球)など、様々なメディアを通して、
手のひらの上で転がす事さえできる球のような状態で地球が扱えるようになった。
みんなが太陽系が動いているということを知っている。
これがね、
地球や他の惑星が「ただ」動いてる乗り物ってだけじゃなくって、
僕らは惑星っていうと、部分やパーツとして捉えがちなんだけど、
全体がひとつになって大きな時を奏でているということ。

だから時計っていうものは分解してみると、
中に多重な歯車が入っているように、
歯車のような形じゃないけれど、明らかに、
空間や時間では比率みたいな形で連動している。
僕たちは、太陽系っていうものが回っているということは知っていたけれども、
それは、巨大な天然の大時計だっていうことには、
まだみんな気付いていないかもしれない。
太陽系は英語で言うと、「Solar system」って言うシステムだよね。
そのシステマチックなものの中に生きていて。
太陽系と僕らはむしろ、
まったくおんなじものだって言う風に捉える方が理解が早いのかなって思う。
太陽系の中にあるものっていうのはやっぱり「太陽系的」。
ということは、太陽系に生きる僕らの中にも、
まったく同じシステムが、備わっているんじゃないかな。

だからポイントはまず、自分と地球はおんなじものだということ。
一体になっているって考えた方が早いかもしれない。
その元を正せば、僕と太陽、自分と太陽もおんなじものだと考えたらいいと思う。
太陽が光を放っているその光は、科学的に電磁波って呼ばれるもので、
電気と磁気が一体化して、空間に波のように伝搬している。
さらにその電気と磁気っていうのは、
空間的に響いている範囲、エリアがあって、
大体太陽系では冥王星の倍くらいの位置まで届いていて、
その向こうは銀河的な領域になっている。
それがいわゆる太陽圏って言われるもの。

太陽圏は英語で言うと「Heliosphere」。
「helio」っていうのは、
太陽が水素ヘリウムで核融合している事を神格化させている言葉。
「Sphere」は球体。電波の圏内・圏外みたいなもので、
太陽の気持ちが届いている範囲と届かない範囲っていうのがある。
球暦で眼には見えないことを読む

僕が作っている地球暦っていうのは、太陽系を意識して、
この地球や自分たちの立ち位置を俯瞰してみることができる新しい時間の地図なんだ。
壮大な宇宙に生きる「地球人」として必要な、
新たな時代の感覚や方向性を指し示す羅針盤として、地球暦をつくっているんだ。
つまり、単純に位置情報を知るだけじゃなくって、
僕らが太陽と一体であるっていうことを改めて視覚化させるようなもの。

自分の人生や自分の時間。
生きている私って一体なんだろう?って考えた時に、
一番立ち返れる、それは、やっぱり外から俯瞰していくような視点。
観察者側の視点を持つこと。
「観じる」こと。
そして、「察する」こと。
目に見えないことを読むっていう事が、実は暦で一番必要なポイントなんだよ。

その他者的な視点、観察者側の私。
そういう風に外側から見ていく感覚がそもそも自分の頭という球の中心点に入っていて、
その仕組みが太陽系とも連動しているし、
太陽系の仕組みはマクロとミクロが連動しているように、
森羅万象を切り取って見た時に、どのレイヤーでもつながっている。
何か一つの法則性みたいなものが自転して、
その回るもの存在の周りを回っているっていう、
そこに尽きる。

その法則を生きるという所で、
人、もの、こと、どれだけそこに紐づけして行って、
その時間空間に、役割働きを持たせて、人との約束事を成り立たせていく。
そして、社会っていう大きなコミュニティをどうマネジメントしていくかっていうこと。
そういう感覚で考えている。


沢賢治とポエトリーのちから

僕はすごく影響を受けているのだけど、
宮沢賢治と言う人は、
正しく強く生きることは、自らの中に銀河系を意識して、
それに応じていくことが正しく強く生きることだって
言い切っている。
天文だけでもない、地学だけでもない。
それを伝えるには、やっぱり神話や物語で伝えるっていう
ファンタジーでポエティックなアプローチをしてる。
遠い星を観察している天文学者が覗いているこの望遠鏡の穴は、
もしかしたら自分の心の深~い所を見つめているんじゃないかなって
そう思うよね。

彼の時代から100年経って、今はお茶の間で太陽系の時空間地図を広げてね、
普通の主婦の人が、家事もしながら意識はもう銀河まで行くわ、っていうくらい、
こんな狭い地球の中で、俺がとか、お前がとか、言ってる場合じゃないよねって。

お茶の間にいながら、
僕らが知覚している範囲は明らかに伸びていて、広がってきている。
今、時間空間の捉え方が根底から変わっている。
長い歴史の中でも特別なタイミングになっているんじゃないかなって考えている。
しいことだけが残る

美しいことって一体何か。一言では言えないけれど、
社会システムっていうのもシステムなんだから、
そもそももっとでっかいシステムが宇宙にあるよね。

しかもそれが地球や太陽系のようにすでに回って巡っているって事を考えれば、
少なくとも循環型社会の雛形が大きな所ではできあがってるし、
それに即してないものって言うのは生態系生物の中ではないから。
その生態系生物時間の中では、
それに即していないものはやっぱりこの中から淘汰されていく。

そもそもビジュアルとして見た時に、
太陽系全体が空間的にも時間的にも非常に美しいっていう状態。
その地球の中にある生態系、やっぱり花一輪見ても、ものすごく美しい。
という事は、
美しいか美しくないか、自然か不自然かっていう事が、
循環の輪の中にいられるかいられないかっていう事になってくる。

だから、最後は美しいものだけが残っていくと思う。
そういう時には、もうタイトルや作者は関係なく、
残るべくして残るものが残っていくし
すでに残ってきている。
回っているこの大きな渦の中に描かれているものっていうのは、
やっぱり螺旋の形を持っているよね。
その螺旋っていうものは数学的に言うと
黄金比率っていうものを持っていて、少なくとも僕らの身体のデザインや、
動物、植物も突き詰めて見れば、その黄金比率みたいなものが中に内包されているし
DNAですら螺旋を描いている。
その黄金比率を図形として一番象徴している形があの星型。

ということは、
やっぱり、星そのものが美しさの元なんじゃないかな、って思う。
だから、美しさを考える時に、
星っていうものに意識を合わせていけば、
自然とやっぱりそういうデザインになってくるし、
僕らの身体のデザインも含めてね、もしかしたら作り出すデザインも、
非常にこの星に合った形っていうのが、
やっぱり美しいものなんじゃないかな。
杉山 開知
太陽系時空間地図 地球暦 考案者
静岡在住。
半農半暦の生活をしながら2004年から本格的に暦をつくりはじめ、古代の暦の伝承と天体の関係を学ぶ。
その過程で暦の原型は円盤型の分度器であることに気づき、2007年、太陽系を縮尺した時空間地図を「地球暦」と名づける。
※ 地球暦 太陽系時空間地図。
宇宙の太陽系の惑星である「地球」にいる自分が、
いまがいつで、どこにいるのかがわかる暦で、民族や国を超え、地球人であれば誰もが理解でき、共通して使えるのが特徴。
www.heliostera.com